|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
会の足跡 |
|
|
|
平成 13年 室蘭測量山桜ロード実行委員会設立 |
|
|
14年 第1回記念植樹 交流会 |
|
|
|
15年 第2回記念植樹 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
16年 第3回記念植樹 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
17年 第4回記念植樹 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
18年 第5回記念植樹 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
(5周年記念事業) |
|
|
|
19年 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
20年 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
21年 植樹 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
22年 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
23年 10周年記念植樹 追肥 草刈作業 交流会 |
|
|
|
(10周年記念事業) |
|
|
|
11月 4日 「さくら功労者」 受賞 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「未来を担う子どもたちに自然豊かな憩いの場を与えよう」 を合言葉として奉仕団体 |
|
でもある室蘭昭和会が、 『 室蘭測量山桜ロード 』 実行委員会を設立して以来、本年 |
|
をもってはや10年の歳月を経ました。 |
|
|
省みますと、色鮮やかに咲きほこる桜花満開の下で、 一家団欒、自然満喫している |
|
光景を思い巡らせながら、会員一丸となって桜木の育成に汗してきた今日までの作業 |
|
の辛苦を回想しています。 |
|
|
お蔭様をもちまして、
市民方々の思いを込められた記念植樹も年を経るごとに増殖 |
|
されており、今では350本を超える桜木が測量山一体にしっかりと根を張りながら開花 |
|
の日を待っているところですが、 反面、 育ち行く桜木の成長に費やす管理作業は、 |
|
予想外に大きくその対応に苦慮しているところでもあります。特に、積雪や強風、樹木 |
|
病やネズミ等による自然災害の防止策は、長期課題と思われますが、今後とも臆する |
|
ことなく根気強く地道に取り組んでいかなければなりません。 |
|
|
また、本委員会は発足以来、自然に対する基本的知識を求めて専門講師や研究家 |
|
など、その分野に精通した方々を交えての、講習会や研修会を開催し、適切なアドバ |
|
イスを受けながら植栽活動に努めてきましたが、 今後ともその育成状況を観察いただ |
|
きながら管理していく予定です。
その為にも会員相互の連携は不可欠であり、一体と |
|
なって推進していく姿勢は崩せません。 |
|
|
ご承知のとおり本会は昨年、 今日までの実績が評価されて 『 日本さくらの会 』 より |
|
功労賞を受けましたが、 これは云々までもなく植栽された自木の成長と開花、 同時に |
|
桜ロードの完成に期待を寄せながら愛情と意欲をもって育成活動に尽くされた会員の |
|
みなさまの努力が高く評価されたものであり、 今後の更なる活動に期待して贈られた |
|
ものと思います。 |
|
|
これからは、私をはじめ役員一同、これを大きな励みとして皆様との連携を積極的に |
|
呼びかけながら、地域に密着した誰からも期待される事業として、更なる充実・発展を |
|
めざして、その運営に努めてまいりますので、会員の皆様におかれましても、今後とも |
|
企画される 「 施肥、草刈 」 等の活動に、僅かな時間でも結構ですので、積極的に |
|
参加されて、 会員の総力で 『 測量山桜ロード 』 の完成を実現させていただけます |
|
よう、心から念願しております。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
室蘭測量山桜ロード実行委員会の会員のみなさん、活動10周年それと自然環境に |
|
対する積極的な取組が評価され、財団法人日本さくらの会からの 「 平成23年度さくら |
|
功労賞
」 受賞、おめでとうございます。 |
|
|
今回は、 「 桜 」 をテーマに道内随一の桜の名所 「 松前公園 」 について、お話しを |
|
させていただきます。 松前公園は、今でこそ、八重桜を中心に250種類以上の桜が、 |
|
10,000本咲いているといわれております。さて、松前公園が桜の里となるまでは、どう |
|
だったのでしょうか。 |
|
|
北海道七飯町在住の桜研究家 浅利政俊さんが小学校の教員として松前町に赴任 |
|
したのは、昭和28年の頃、当時の松前公園は、狭く未整備で、明治以降に町民が育 |
|
ててきた桜があるのみでした。 その多くは鎌倉兼介さんによって植栽された八重桜で |
|
した。桜の品種も寺社の名木を含めても20種類程度で、本数は約300本ぐらいでした。 |
|
そこで、浅利さんは、松前町に 「 植物園か、桜の見本園の様なものを作るべき 」 と |
|
提案をしたそうです。そして、昭和32年、当時の佐々木町長のもと 「 松前教育植物園 |
|
構想
」 がまとまったそうです。まったくのゼロからのスタートでしたが、松前の桜見本園 |
|
には、次のような理念がありました。 |
|
|
|
|
「 子供に桜の美しさや文化を伝え、一般の人々にも桜へ親しんでもらう 」 |
|
|
|
|
「 北は千島列島の千島桜、南は沖縄の寒緋桜まで、日本の桜を集め植栽する 」 |
|
|
|
浅利さんは、全国から集めた桜を子供達と共に品種改良し、松前独自の桜を育てあ |
|
げ、現在に至りました。 ちなみに、日本の桜の品種は、現在300種類以上といわれ、 |
|
その約3分の1にあたる105種類の桜を、浅利さんが育成されてきました。そのうち松前 |
|
で生まれた新品種の桜は、約100種類です。 |
|
|
|
|
松前公園の桜の取組の原点を振り返ってきましたが、最後に、忘れてはならないのが |
|
これまで桜を守り続けてきた、多くの地元住民の方々がいたことです。 そして、今後の |
|
キーワードとして、次世代へ引き継がれるであろう 「 子供達 」 に、桜の里を守り育てる |
|
ことをどのように伝えていくのか、忘れてはならないと思います。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
室蘭市の森林面積は、行政面積の32%に当たる2,594ha あり、このうちの90%が |
|
|
天然林で占められています。北側には、室蘭岳 (国有林)、蘭西には、国有林の払下 |
|
|
げを受けた測量山緑地や地球岬緑地があり、 両緑地とも国有林であったことから森林 |
|
|
が保全されてきたと考えられ、 特に、 唐松平から旧野鳥園に抜ける散策路沿いには、 |
|
|
樹齢百年を超えるとみられる大木を見ることができます。 |
|
|
市の事業としては、昭和52年から平成13年まで、測量山緑地と知利別公園(楽山) |
|
|
に 844本 の市民記念植樹を行ってきました。 桜に限定しますと、ヤエザクラとヤマザ |
|
|
クラあわせて 400本 植樹していて、 その内、測量山緑地には、 唐松平 ・ 女測量山 |
|
|
周辺にヤエザクラ 50本 を植樹しています。 他に、町内会等を対象とした苗木の配布 |
|
|
も行っており、 公園や道路等の公共的な場所に植えることを条件に、 平成15年から |
|
|
23年までに、ヤエザクラやヤマザクラ 1,600本 ほど配布しております。苗木は、1m |
|
|
位なので、 間隔が狭かったり、 フェンス際に植えたりしているところもあり、 管理面で |
|
|
苦慮している所も出てきています。 |
|
|
|
|
今後の測量山の展望についてですが、 |
|
|
担当は違いますが、夜景観光を売り出し |
|
|
ており、測量山山頂からの眺望もお勧め |
|
|
ポイントとなっております。測量山緑地は、 |
|
|
山頂や唐松平広場、
駐車場、 マスイチ |
|
|
展望台、 絵鞆岬展望台等が整備され、 |
|
|
市内外から多くの方が訪れ、朝日夕日の |
|
|
眺望や野鳥観察、 森林浴等に広く活用 |
|
|
されていることから、 現状での維持管理 |
|
|
を基本に考えています。「 測量山を桜の |
|
|
山に」と、桜ロード実行委員会の皆さんの |
|
|
手により、 テングス病の枝の除去や老木 |
|
|
の伐採 ・更新等を実施していただき、また、種から苗木を育てる取り組みも始められ、 |
|
|
大変感謝しています。 |
|
|
測量山は、都市緑地として都市公園法上の制限がありますが、適切な保全、管理が |
|
|
必要ですので、今後も互いに協力し合いながら、桜の山づくりを進めていけたらと思っ |
|
|
ています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
昨年は、3度松前に足を運びました。その都度、その季節で、よい場所があることにきずかされます。 |
|
|
|
ある冊子には、 今の松前 「さくらの里」 があるのは、浅利先生が、つくり出された |
|
|
新しい桜があるからですが、 大正時代には、接ぎ木で桜の増殖につとめた鎌倉 |
|
|
兼助氏がいて、現在は、桜を守り育てる多くの子供たちや町民がいるからです |
|
|
とあります。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
私たちも、明日を夢見て |
|
|
測量山で、ガンバッテいます |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
暑い中、大事な草刈作業です。 |
|
|
汗を流しながら、作業を行います。 |
|
|
|
休憩時の冷たい飲料水は最高です。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
測量山で活動をしていると良く聞かれます。 |
|
「何をしているのですか」と、まじめに、樹木の手入れをしていますと答えます。 |
|
最近、飽きてきました。 |
|
浅利先生は、日本に数人といわれる「桜守」の一人です。桜守は桜の花守(花神)です。 |
|
数人の桜守の一人であれば、桜の花大守でしょう。 |
|
すると、花守の子孫は、花大守とは格段の差はあるとは思いますが、 |
|
花小守と呼んでも良いのではないでしょうか。花小守は、花子守と書き換えてもよいでしょう。 |
|
|
|
|
|
今度聞かれたら、答えます。 |
|
桜の小守(子守)をしているのだと・・・・ |
|
|
|
ここち良いところで、 |
|
思いを込めて一句 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
室蘭測量山桜ロード実行委員会の活動10周年おめでとうございます。「室蘭のシン |
|
ボル測量山を桜の名所にしよう」 「子供たちに郷土愛を持ってもらおう」 を出発点に |
|
始まった取り組みは、大きな節目を迎え、確実に 『 花開こう 』 としています。 |
|
|
植樹されているサクラは、 結婚や出産、合格祝いなど、 すべて市民オーナーによる |
|
記念植樹です。単に植えるのではなく、植樹者自らが手入れを行う活動は、市民参画 |
|
の先駆けとして画期的なものでした。 従来の行政主導ではない 「 住民主導 」 の取り |
|
組みに、 財団法人むろしん緑の基金はじめ個人や企業から多くの賛同があったのは、 |
|
事実です。家族連れで植樹者自らスコップを持って苗木を植え、鎌を手に草刈りに汗 |
|
を流し、作業後には家族と共にジンギスカンを囲み、植樹者同士の交流も深まったこと |
|
と思います。測量山に直接市民が関わり、文字通り 『市民憩いの山』 となったのです。 |
|
春の 「山開き」 が近づけば山は、桃色に色づきます。夜は、測量山のライトアップで、 |
|
7色の光が夜空に放たれます。この時季、測量山は彩りを増すのです。 |
|
|
|
|
サクラの苗木を成長させることは、子供を |
|
|
育てるのと同じで手がかかるものと、話され |
|
|
る方もおられます。 単に植えるだけではな |
|
|
く、 春には肥料をやり、 枝が風で折れそう |
|
|
になればそれを支え、 ネズミの食害に対し |
|
|
ては、ペットボトルやネットで防ぎ、テングス |
|
|
病にかかれば、その枝を除去し、今年初め |
|
|
ておこなった殺菌剤の散布も、樹木を成長 |
|
|
させたいとの『思い』からだったのではない |
|
|
かと思うのです。 |
|
|
会員である植樹者が、 ひとりひとり植えた樹木だからこそ大事にしたい、その成長を |
|
しっかりとしたものにしたい、
きっとそのような考えなのでしょう。 |
|
|
このような地道な取り組みは、 広く知れ渡るようになり、
財団法人 日本さくらの会の |
|
平成23年度 「さくら功労者」 に輝きました。実行委員会の取り組みは、その都度取材 |
|
し、紙面で紹介しています。活動の市民理解は進んでいます。 活動10周年を迎え、 |
|
委員会組織も確立しました。これからが正念場です。団体名の中にもある『 桜ロード
』 |
|
として脚光を集める日も、近い将来来ることでしょう。今後の活動の展開と広がりに会員 |
|
の一人として期待しています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
測量山桜ロードと私のかかわりは、昭和会への入会から始まります。 すでに皆さんも |
|
ご存知のこととは思いますが、 「 測量山桜ロード 」 の立ち上げに積極的にかかわった |
|
のが昭和会であります。入会初年度より、桜の植樹 ( 第1回記念植樹 ) を始め、今日 |
|
まで10年、 測量山の桜を見てきている一人です。 今回は、今までの10年、その中で |
|
見えてきたもの、 そしてそこから将来に向けて、
考えなければならないことを、見つけ |
|
出す一助にでもなればとの思いから、文章を書かせていただきます。 |
|
|
|
|
入会して、5月には第1回の植樹となっていたのですが、そのときの思いは |
|
|
「山に樹木を植樹するのはいいことではあるが、果たして成長するのかな?」 |
|
|
|
|
そして、そもそも |
|
|
「植樹する場所が、なぜ、測量山なのか?」 |
|
|
「植樹する樹木が、なぜ、桜なのか?」 |
|
|
|
という思いでした。 |
|
|
|
|
測量山、確かに私が子供の頃、遠足で行ったことがあるのは覚えています。 しかし、 |
|
今まで、特別な思いで測量山をみていたという記憶はないのです。そして、樹木を植え |
|
るのであれば、公園とかの平坦な場所の方が良いのではないかと思っていたのですが |
|
最近、 先輩たちが、なぜ測量山という場所を選んだのかを知る機会を、 得ることができ |
|
たのです。
それは、昨年の記念事業の一つであった「測量山みどりのフォーラム」開催 |
|
のための準備をしているときでした。講師として来ていただく孫田さんに、私たちが活動 |
|
をしている場所を見ていただく際に、 私たちが測量山を説明できないのでは、 失礼に |
|
あたるのではないかと思い、測量山を勉強したのです。 図書館へ通い、資料等を調べ |
|
る中で、測量山は室蘭という街の移り変わりをじっと見つめ、また、そこで暮らす人々に |
|
は、愛される続けているということです。それを顕著に表すのが、60年も続く「 山開き
」 |
|
なのではないでしょうか。「 地元でなんとか観桜会を開きたい 」との思いから、現在まで |
|
続いています。その当時を知る人達は、口をそろえて言います。 「測量山の周りの町会 |
|
単位で、その頃の山開きは、人々が多数集まった」とそれを目を輝かせて、皆が話すの |
|
です。 新聞や・資料にも載っておりますが、当時、幼い子供だった先輩たちには、その |
|
脳裏に鮮烈にその光景があるのです。今のように娯楽もない時代、「山開き」が春の訪 |
|
れを告げる一つの行事として、
先輩たちの胸に残り、 そして、そのような場所を先人と |
|
して、次の世代 ( 子供たち ) に伝えたい、そのために測量山に植樹をし、憩いの場を |
|
を作り、後の世代へ良い環境を残したい。
そんな思いがあったのでしょう。 会員の中に |
|
もそのような思いを持つ方が多いはずです。
測量山は、そんな思いを一つにする場所 |
|
なのです。幼い日の思い出を作れる場所、どこかにあってもいいのではないでしょうか。 |
|
|
それでは、つぎになぜ桜なのか。 現在桜の名所といわれているところは数多くあり、 |
|
それぞれにその彩は、人々を魅了しています。室蘭にも桜の咲き誇る場所がいくつも |
|
あり、人々の目を楽しませています。なぜ桜なのかを考えたときに、まず浮かんだのが |
|
前にもご紹介したかもわかりませんが、百人一首の一句 |
|
|
|
|
「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな」 |
|
|
|
|
すでに平安時代に桜の歌が読まれていたように、 桜は、
その当時の人にも愛でられ、 |
|
現在においても、人々に愛されているのです。 桜を管理している方々とお話しをする |
|
機会に、さりげなく 「 なぜ、桜だったのでしょう 」 と聞きます。 大体の人が、すぐに「桜 |
|
は国花であり、人々に愛されているのでしょう」と、 こんな話しを聞き脳裏に浮かんだの |
|
が、山登りする人に「 なぜ、あなたは山に登るのですか? 」と尋ねたときに、その方が |
|
「 そこに山があるから
」 と答えたとか、けっこうこのような感覚なのではないでしょうか。 |
|
つまり、
なぜ桜を植えるかを考えることは、 考えるに値しないことだったのかもしれませ |
|
ん。桜を愛する人がいる、そして桜を愛でたい人が多数いる、そのために自ら桜を植え、 |
|
桜の花盛りを満喫したい、
そんな思いだったのではないでしょうか。 このように人々に |
|
愛される桜を思う心は、すでに日本人の文化となっているのです。遠い昔より、桜を愛し |
|
続ける人に、 |
|
|
|
|
「なぜ、桜を植えるのですか?」 |
|
|
|
あまりに、失礼な質問だったのかもしれま |
|
|
せん。 ましてや、日本の文化を否定する |
|
|
ような問いかけに、 答えに困る方もいらし |
|
|
ゃったのかも知れません。でも、また機会 |
|
|
があれば、聞いてみたいものです。 |
|
|
|
「なぜ、桜を植えるのですか?」と・・・ |
|
|
もしも、私が聞かれたならば、すぐに答え |
|
|
|
ます。今までの経緯を説明し、 |
|
|
「最初から、植樹することが決まっており、おっかない先輩たちには逆らえず、 |
|
|
また、測量山のためにと脅されて、数多くの桜を植えました」と |
|
|
|
冗談です。 |
|
|
|
一息ついたところで、 「 山で桜は育てられるのか?
」 この問題の解決も、さほど難し |
|
くはありませんでした。
でも、最初の植樹時には、考えられたところです。 平坦な土地 |
|
( 場所
) においても、樹木を成長させるのは大変で、 ましてや山となるともっと手間が |
|
かかることでは、・・・・ 確かにそう思います。しかし、樹木を植えるということは、その |
|
ような手間を考え、植えることなのではないかと思います。そうしない限り、 樹木を成長 |
|
させることは、困難だと思えるのです。私たち ( 植樹者 )の年を考えると数十年もの間、 |
|
桜を管理できないし、 年を重ねることで、 足腰も弱くなり、作業が大変になるのではと、 |
|
そんな会員が多かったと思います。 でも、桜を植樹した。 そして現在まで桜を管理して |
|
います。桜の花を誰しもが咲かせたいのです。そして、その桜をみんなで愛でたい思い |
|
が、行動させているのです。 |
|
|
|
会員の間でもよく言われることです。 |
|
|
「植えた桜が見ごろになるときには、もう私たちはいませんよネ」 |
|
|
|
それでも、育てるのですか?と |
|
「私たちは、何のためにやっているのでしょう。」 |
|
|
|
私たちが見ることができないのにと・・・ |
|
|
|
|
ある先生に指導を受けた際、その先生良いことをお話しになりました。ふとした際に、 |
|
会員からもれた一言、それは上記のような言葉、それを受けて、その先生 |
|
|
|
|
「そのようにおっしゃるのは、わかりますが、良く考えてください。 あなたたちが |
|
今見ている桜は、 かつて先人たちが、今のあなたたちと同じように苦労をして |
|
育てたからこそ現在があり、その桜に感動しているのですよ。現在のその感動 |
|
に感謝し、 将来に感動させることのできる場所創りに励むことは、意義あること |
|
であり、またそれが、将来私たちと同じような活動をする人達を、生み出すので |
|
すよ」と |
|
|
|
|
本当にそのとおりなのです。春になり桜の咲き乱れるのを見て感動している場所には、 |
|
先人たちの努力があり、将来桜に感動するであろう後輩のためには、今私たちが、桜 |
|
の管理に励まなければならないのです。 |
|
|
話しは、 チョット別方向に進みましたが、 平坦な日光を十分に浴びることができる |
|
場所と樹冠に覆われた山では、その成長の度合いが違うのは当然です。 ましてや、 |
|
すでに何十年とその場所に根を張ってきた樹木の間に植樹するのは、 植えた樹木の |
|
成長にも支障をきたし、 長年そこに根を張ってきた樹木の成長にも、 その影を落とす |
|
こととなる場合もあるのです。 しかし、樹木にも寿命があります。 枯死した樹木が土に |
|
帰るには、膨大な時間がかかります。 少しでもその場所を良い状態に保つためには、 |
|
やはり、手をかけなければならないのではないでしょうか。 |
|
|
みなさんも、
ご存知の 『 桜の名所 』 奈良の吉野山、
そこには古い時代から、山を |
|
守り、桜を守っている方がいます。「
桜守 」と呼ばれていますが、その方たちが、現在 |
|
まで山の桜を良い状態で保ち続けているからこそ、 春には多数の人々を魅了する場 |
|
を提供し続けているのではないでしょうか。 |
|
|
山の桜、 確かに手はかかることですが、かけ |
|
れば、
その良い状態は維持できるのです。 |
|
難しい、時間がかかると考えずに、どうせやる |
|
なら、
むずかしく 困難の多いほうが成し遂げ |
|
たときの喜びは、 苦難の数だけ増すだろうと |
|
考え、「
花見の酒も美味いはず 」 と思えば、 |
|
活動にも自然と力が入ります。
私たちの活動 |
|
が、会員及び地域の方々に支えられ、 |
|
『 人々が集う人々を魅了する |
|
|
そんな場所創り 』 |
|
|
|
を続けることができたなら、なんと最高なことで |
|
しょう。続けることこそが、未来の力を生み出すのです。それが、測量山の「 明日に輝く |
|
道創り 」 だと思います。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1月 厳冬の海 |
|
2月 冬の太平洋 |
|
3月 残雪の室蘭岳 |
|
|
H 23.1.13 撮影 |
|
H 22.2.21 撮影 |
|
H 22.3.14 撮影 |
|
|
|
|
|
4月 測量山の夕日 |
|
5月 測量山の春 |
|
6月 唐松平のツツジ |
|
|
H 23.4.5 撮影 |
|
H 23.5.15 撮影 |
|
H 22.6.18 撮影 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
7月 テレビ塔と夏空 |
8月 女測量山の木漏れ日 |
|
9月 隙間見る羊蹄山 |
|
|
H 22.7.30 撮影 |
|
H 22.8.30 撮影 |
H 22.9.25 撮影 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
10月 唐松平の紅葉 |
|
11月 桜の紅葉 |
|
12月 冬の唐松平への道 |
|
|
H 22.10.23 撮影 |
|
H 23.11.5 撮影 |
|
H 22.12.19 撮影 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|